腎臓さんとの出会い②
その①の続き
食事療法を知らずに過ごしていたわたし。
25歳くらいの時に、クレアチニン4くらいに悪化。
ステロイドを増やし、その関係で免疫力が落ち、ヘルペス、咽頭炎、急性耳下腺炎で入院しました。
それから食事療法を相変わらず知らずにいたのですが、運良くしばらく維持ができていました。
しかし27歳の時、職場のイベントで会社が出してくれたお弁当を2日続けて食べた次の日の病院でクレアチニンが6以上に…
弁当は、からあげ弁当とチキン南蛮弁当でした…
今考えてもゾッとするたんぱく質量…
知らないって恐ろしいことですね
その時に、透析の話しをされました。
目の前が真っ白になるってこの事だと思いました。
ショックで自分だけ空間がおかしくなるような感覚になりました。
病院終わりに仕事だったのでいろいろと辛かったのを覚えています。
それからしんどい毎日を過ごしました。
相変わらず食事療法は知りません…泣
〈前の病院は総合病院だったんですけどね〉
尿素窒素の意味も知らず、身体がしんどくなっていく日々…
動くことも辛くても仕事も休むわけにもいかず…
あの頃の自分は我ながらホントよく頑張ってたなと思います。
長時間肉体労働だったので毎日、気合いと根性だけで働いていました(ーー;)
2016年6月。28歳
クレアチニンが8を超え、とうとうシャントの手術のため入院。
その入院で食事の面でひどい扱いをされ尿素窒素が122までいきました。
(看護師さんたちはとても優しかったです)
いろいろ書きたいですが、今思い出すだけで本当に嫌な気持ちになるので省きます…
しかし、奇跡的にクレアチニンが少し下がり透析をせずに退院。
本当に腎ちゃんの底力に感謝です。
この入院中に母が知り合いから得た情報で、今の病院に巡り会えることに。
いろいろ頑張った自分と腎ちゃんに救いの手が差し伸べられた気分でした。
その③へ続くはず
長々とm(_ _)m